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2015年6月の5件の記事

2015年6月27日 (土)

縁起が悪いとか言うけど

悪いのは君の頭だよ
 

2015年6月22日 (月)

なんかちょっと腹痛い

体調不良とかの軽い愚痴にいちいち目くじら立てる人達って何なの?
脳にどんな欠損があったらその程度で苛立つんだろう
 

つまらない

毎日好きなことをやって生きている。
思う存分ネトゲにはまって、やりがいを見つけて充実した時間を過ごしたり、
飽きたり疲れたら縛られることなくあっさり投げ捨てる自由もある。
年中ほとんど休みなくエアコンをかけ続ける快適な部屋で、良いパソコンと良い回線で遊び続けている。
パソコン以外にも趣味があり、没頭して楽しみ、快感を得ることが出来る。
飯もほぼ好きな物だけを思う存分食べている。
 
自分の生き方が間違っているとは思わない。
社会に拒絶された身であることは否定しないが、こちらも社会を拒絶したいと思っており、それを問題なく叶える財があるのでこうなっている。
自分にとって最も合理的で最も快適な生き方をしていると思っている。
 
今の生活から抜け出すべきだと思えることが正しいのは理解している。
だがそのように思う理由が無い。
僕は幸せだ。
これだけ贅沢をしておいてまだ「つまらない」とかほざくほど我儘だが、それでも幸せだ。
 

正論

「正論」という言葉に人々が負の意味合いを込めるのは、彼らが正しくあろうとする気のない屑だからである
 
みたいなことをパっと思い付いたけど、言語化するにあたって何だか思っていたのとズレてしまったように感じる
生み出された文章が暴論気味である理由の何割かはそのズレによるものだと思う
でもしっくりくる言葉を探すのが面倒くさい

今までにはなかった感覚なので、自分の思考レベルに対してそれを言語化する能力が追いつけなくなってしまったのだろうかと心配になる
別に思考レベルが上がったとは思っていないのだが(←とかいちいち書かないと馬鹿が誤解するだろうと思っていちいち補足するのが嫌になるし、どうせ何を書いたところで彼らは好き勝手に捻じ曲げて解釈するし、こうして文章量を増やすほど馬鹿には長くて理解されなくなるのが不毛で更に嫌になる)
 

「キレる14歳」

事件当時中学2年生でもう誕生日が来ていた僕は、少年Aと学年は違えど同じ「14歳」だった。
当時のメディアはその世代の少年が起こした事件を好んで取り上げ、
ブームを煽るかのように「14歳が危ない」「キレる14歳」などと連日ヒートアップした世代差別を行っていた。

同世代の多くの生徒は特に事件など起こしていないのに、キレる世代、危ない世代だと差別を受けた。
何もしていないのにそんなことを言われても、どうしようもない。
多感な中学生時代、メディアや身近な大人から連日そのような扱いを受けるのは真剣に堪えるもので、
理不尽な差別に傷つけられる生徒が少なくなかった。

まだネットが普及しておらず馬鹿げた報道を皆があしらう文化もなかった当時、メディアの力は強かった。
ごく僅か数名の事件のみから世代全体を差別するなど、普通に考えたら馬鹿馬鹿しいと分かりそうなものだが、
他の世代の人間にとっては14歳をそうして差別するブームは面白く都合の良いものであり、世の中の大半の人間は自分に都合のいい情報をあまり疑わないものであり、親にも教師にも今の14歳は危険なのだと真に受けてそのように扱う者がゴロゴロ居た。

うちの中学で当時担任をやってた者の中にも、ホームルームで「皆は先生のこと刺したりしないよね?」などと怯えながら聞き、生徒が「当たり前じゃん」と答えると涙を流したというお花畑のババアがいた。
それは他所のクラスの出来事だが、うちのクラスにまでそんな話が伝わってきて、うちの教室で男子グループが「なんでうちの学校の先生まで俺達をそういう目で見てるんだ」と愚痴っていたのをよく覚えている。
その愚痴の中心にいたのは、少しキレる素質のある奴だった。それほど大したことはなくどこのクラスにも居るレベルの怒りっぽさであり、もちろん彼は事件など起こすはずもないのだが、そういう素質のある少年は特に今にも犯罪に走るかのように煽られ、恐らく全国あちこちでそういう状況があったと思われ、マッチポンプで本当にその世代が次々とキレてしまってもおかしくない危なっかしさがあった。

僕自身も、父親に似て頭に血が上りやすい性質があり、小4くらいまでは学校で執拗にからかわれれば暴力を振るってしまうタイプであった。
その後はずっと大人しくなっていたのだが、14歳差別ブームからあいつも今にもキレて犯罪をやらかしそうだと扱われ、中には腹立たしいものもあり、いつまで冷静でいられるか、不安定な精神状態で日々を送っていた。
メディアの報道やそれを真に受ける大人達を馬鹿馬鹿しいと見下し、社会と自分の間の溝は急速に深まっていった。


ある日、仕事から帰った父が僕に八つ当たりをする形で、口論になった。
僕は父の八つ当たりに腹をたてて反発した。少し声を荒げた。
そして父は言った。「お前もキレるのか。14歳」と。

――何を言ってるんだこいつは。お前は僕の父親じゃないのか。お前もあんなくだらない報道を真に受けるのか。自分の子供をそんな風に差別するのか。大体お前は人のことを言えるのか。散々キレて僕を殴りつけてきた癖に。そんな奴が子供を作ってそんな育て方をしておいて、どの面下げてお前が僕を14歳だからキレるなどと差別するんだ?

そして僕はキレた。悲しいことに、その父の言葉に対して本当にキレてしまった。だが何もできなかった。
父親に殴りかかり、簡単に撃退されて床に倒され、上に乗られてしばらく殴られ、それから首を絞められ続け、視界が真っ白になり、意識を失った。
それ以来僕は首がほんの少しでも締め付けられると落ち着かなくなってしまい、月日が流れて大人になっても未だにシャツの首元を引っ張って思い切り広げてしまう。
まあその辺りは単にうちの家の問題だが、僕はそうして人一倍鮮明に、当時の14歳差別も、そんな報道をしたマスコミも、それを教師や父親までもが真に受けたことも、忘れられることなく覚えてしまっている。


さて、僕は当時事件を起こした元少年達を恨むべきだろうか。
こうして書けばその事件から二次的に起きたことと捉える人も居なくはないだろうし、
それは直接関係ない逆恨みだお前が虐げられた理由を押し付けるなというのも正論だろう。
あいつらのせいで年齢差別を受けたところまでは恨んで良いという考え方もあるだろうし、いやそれはマスゴミや大人が勝手にやったことだというのも正しい。

僕は、事件を起こした元少年達を全く恨んでいない。
この一連の件での僕の敵はあくまで、当時の14歳を差別した連中であり、それは事件を起こした元少年達の敵でもあると言える。
頭の悪い連中から見れば敵の敵は味方に分類されるだろう。
実際に僕は、世の中の連中がこれらの事件を叩くことを不快に思い、嫌がっている。
それが味方していると混同されても、まあ世間の知能の低さからすれば仕方ないとは思う。


絶歌の出版をやめさせろという風潮にも賛同できずにいる。
人々は事件を起こした元少年Aを叩いても良い相手だと見なしているから叩いているとしか思えない。
遺族が声をあげるのはまあ分かるが、全く関係ない他人が関係ないストレスを解消するために遺族を利用して著者を攻撃するのはただの言葉の暴力だ。
反省してない更生してないと言いながら油を注いで、また事件が起こることでも期待しているのだろうか?
 

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